toggle
代表プロフィール

代表プロフィール

「法律だからこうしてください」と押し付けるのではなく、人の問題、組織の問題にフォーカスする。そうして丁寧に問題を解決するサポートをしています。

代表挨拶

社会保険労務士 丹羽浩太郎

当事務所代表の丹羽浩太郎

こんにちは。当事務所代表の丹羽浩太郎です。
私は、「人とお金が会社に残り、いい人材が集まり業績も向上してゆき、末永く社会にに選ばれる会社を、一つでも多く増やしたい」という想いをもって仕事をしています。

その中で、私が常に心がけていることが2つあります。1つは「しっかり話を聴くこと」、 もう一つは「法律論だけで解決しようとしないこと」です。

労働法や労務人事の専門知識をもつ「社会保険労務士」ではありますが、法律的に正しいことを話すことだけが、私の仕事ではありません。
それぞれの経営者が抱える社内の組織や人の問題について、その悩みをお聞きし、問題解決に向けて一緒に考えてゆくことが、私の本質的な仕事だと考えています。

現状を整理し、「いま何が問題か?」「本当の悩みは何か?」を明確にしたうえで、「どうなりたいか?」「目指すゴールは?」をお互いに確認に、順番にできるところからご支援するよう努めています。

会社のように人が集まる場所では、どうしても人と人との問題が発生します。そしてその問題には必ず感情がついてきます。これに対し、個々の人の感情や気持ちが置き去りになってしまうと本当の意味での解決には至りません。

また、労務管理についても、法律に照らし合わせて、現状が正しいかどうかを判別するのは難しいことではありません。ただ、「法律だからこうしてください」と押し付けるのではなく、人の問題、組織の問題にフォーカスする。超えなければいけない障害は何か?会社にとって、社員にとって望ましい姿は何か? これらに耳を傾けながら、考えを交わしあう。そうしながら、丁寧に問題を解決していくことで、結果としてコンプライアンスも満たされ、人とお金が残るいい会社に変わってゆくことを目指しています。

(もちろん、決して法律を軽んじているわけではありません。法律をきちんと守れる状 態になるのがスタート。その枠組みの中で会社の発展をお手伝いしたいと考えています。 したがって、脱法行為や法の抜け道の指南を期待する方にはお役にたてません。)

このような想いのもと、私は、社員を大切にしたいと思っている社長、日々変わっていく法律を何とか守りたいと思っている社長の参謀役として、経営者も社員も幸せになり、社会にに選ばれる会社となれるよう、支援してまいります。

【経歴】
1970年愛知県江南市生まれ。一宮西高校、大阪外国語大学卒業。
1993年旅行会社ジャルパックに入社。添乗員や営業職を経て、人と人とでつながる楽しさを知る。しかし東京本社に異動後、ストレスと過労からうつ病を発症。苦しい時代を経て、仕事でこのような辛い思いをする人が出ない ような社会になればという思いを持つ。
6ヵ月の休職を経て復帰。財務や経営企画の仕事を通して経理などに関する知識を得る。
2006年社会保険労務士の資格取得。
2010年に会社倒産。財務の業務の一環としてリストラをする側を経験する。人を切るという苦渋の経験から「人とお金がしっかり残る会社を増やしたい」という信念が生まれた。
2012年.会社再生目前にジャルパックを退社。社会保険労務士として開業する。
現在は労務管理のみならず、ヒト・カネ両面を見据えた提案もできるコンサルタントとして活躍中。これまで対応した相談は経営者中心にのべ300人以上。公的機関・企業団体等でのセミナー・研修にも多く登壇しているほか、 2013 年度~ 2018 年度の江南商工会議所労務相談員も務める。

【保有資格】
社会保険労務士
行政書士
衛生管理者(第2種) 社会保険料適正化コンサルタント
米国 NLP 協会認定マスタープラクティショナー メンタルヘルスケアコンサルタント 年金アドバイザー
日商簿記 2 級、総合旅行業務取扱管理者、旅程管理主任者
【その他情報】
■生年月日:1970 年 2 月20日
■血液型:B型
■家族構成: 妻と子供3人(2女1男)の5人家族
■趣味:山登り 、鉄道旅行、日曜大工(DIY)、落語鑑賞

会社倒産・リストラ側にたった経験が起業の原点

大学卒業後、JAL グループの海外旅行会社 (株)ジャルパックに入社。
海外ツアーの添乗員として、一年の大半を海外で過ごすような日々を送りました。

新卒最初のこの職場では、接客の厳しさを叩き込まれるとともに、仕事を通じてお客様に喜んでいただくことが自身の喜びや成長につながることを体感しました。
この添乗員時代の経験とマインドは、いまでも私の仕事人としての原点となっています。

数年後、大阪支店・広島支店へ転勤。
団体旅行の営業マンとして、今度は京阪神・四国・中国地区を飛び回りました。 添乗・営業で10年過ごした後、本社システム部に異動します。

しかし、これまでと真逆の「機械」相手の業務となったことで、そのストレスと過労から次第に体調を崩し、とうとううつ病になってしまい、約半年間、休職を余儀なくされました。

当時は死をも考える、大変つらい思いもしましたが、幸いにも、家族の支えや信頼できる主治医のおかげで、自宅療養~その後しばらくのリハビリ勤務を経験し、約2年後には無事復職を果たすことができました。

この時の体験がきっかけで、社会保険労務士を目指すこととなります。

復職後は、総務課での給与計算担当を経て、財務部に約6年所属します。

一般経理の他、月次・年次決算、管理会計、収入管理など担当し、企業経営に不可欠な会計センスをここで習得します。

このころ、2回目の挑戦で、社会保険労務士試験に合格することができました。
2010年、親会社JALの倒産により、自社も資金繰り逼迫、財政凍結、大規模リストラなどに直面することとなりました。この後しばらくの特殊な環境の中で、企業における経営資源「ヒト・モノ・カネ(特に現金)」の重要性をいやというほど痛感します。

数年後、何とか会社更生終了にこぎ着けることとなりますが、この一連の時間の中で、生き方・働き方を改めて見つめ直す転機ともなりました。

この頃より、こうした経験を生かして士業として地元企業に貢献したい、と強く考えるようになります。

2012年、同じく2回目の挑戦で行政書士試験に合格。これを契機に退職を決意し、愛知県へ帰郷しました。

その後、江南市で社会保険労務士・行政書士として新たな一歩を踏み出し、現在に至っています。